
米女子ツアーが熱い!日本の女子ツアーをもっと盛り上げるには…
国内外とも話題を欠かない女子ツアー。しかし、選手マターでの人気だけでは将来が心配。ビジネスとしても成功を収めた米ツアーの例を取り入れては、と思うのだが……。
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ゴルフ界以外からのコミッショナーはいつ来るの?

ハローエブリバディ!今年の米LPGAは熱い!なでしこ軍団が大暴れする予感大だ。昨年も古江彩香選手が最少平均スコアをマークした選手に贈られる〝ベアトロフィ〞を獲得。年間、もっとも安定したスコア、つねによいスコアを叩き出す選手=どんな状況でもスコアを出せるツアーで1番ゴルフのうまい選手の証明ともいえる権威のある賞だ。
西郷真央選手もルーキー賞を獲得。優勝はなかったものの年間を通して安定したスコア、成績を叩き出し、1990年の小林浩美選手以来、2人目の快挙となった。今シーズンも好調を維持しているので初優勝も時間の問題だろう。そして今年は、竹田麗央選手がTOTOで勝ち取った参戦権の行使2試合目、米ツアーメンバーとしての初優勝をあげた。
これで、日本人女子が海外で優勝したのは12人目だが、そもそも米女子ツアーってのは、どんなツアーなのか。歴史や背景、グローバル化などを詳しく紹介しよう。
1944年の世界大戦中の米国に、3名の女子プロたちがWPGA・女子ゴルフ協会を発足。戦後の1948年まで協会は苦戦を強いられていたが、ウィルソン・スポーティング・グッズから救いの手が差し伸べられると一気に女子ゴルフが世間の注目を浴びるようになる。1950年、13人の先駆者によって現在のLPGAを創立。
初代会長には、パティー・バーグが就任。このパティー・バーグという名前、聞いたことあるのでは?そう、かつてLPGAにあった、その年にもっとも女子ゴルフに貢献した選手へ送られる賞が〝パティー・バーグ賞〞だった。1959年には賞金総額20万ドルにまで成長を遂げ、試合数は現在の年間35試合(うち米国内では24試合)とほぼ同じなので、70年近く試合数の変化がない優秀なツアー。
1960年代に入るとテレビでの中継もはじまり、賞金総額は60万ドルに。1970年代に突入するとプレーヤーたちが運営する組織から近代的なビジネスへと転換し、現在のLPGAを作り上げるうえで重要な時期であったことは間違いなく、1975年には外部からコミッショナーを雇うことでさらに成長。
その初代・コミッショナーのレイ・ヴォルべ氏は、ゴルフでのスコアは100を切れないが、広告代理店からNHL(全米ホッケーリーグ)の副社長、マーケティング部長職を経てLPGAの初代コミッショナーとなった。就任当時、コカ・コーラ、アナハイザーブッシュ(バドワイザー)、ケンパー保険、コーニンググラスなどのスポンサーを獲得し、赤字だった団体を3年で黒字へ転換させ、賞金総額も150万ドルから640万ドルへ大幅に増加させる手腕を発揮したのだ。
おっと!この続きはまたの機会にするとして、今月の〝オレにいわせろ!〞は「日本の女子プロゴルフはプロゴルファーでない外部からのコミッショナーがいつ来るの?」だ!それとも来ないの?ずっと興味があるんだよね。
タケ小山
●小山武明(こやま・たけあき)/1964年生まれ、東京都出身。プロゴルファー、ゴルフ解説者。テレビ「サンデーモーニング」(TBS)、ラジオ「Green Jacket」(InterFM897)ほか、多数メディアで活躍。
イラスト=北沢夕芸
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