夢舞台で“レジェンド”に追いついたゴルフの麗人

ゴルフの歴史には、その転換期となる数々の「名勝負」がある。それを知らずして現代のゴルフを語ることはできない。そんな「語り継がれるべき名勝負」をアーカイブしていく。

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朴セリキッズが賞金女王に

あこがれから始まる物語は数多い。例えば今の日本の女子ゴルフで活躍する若手には、宮里藍にあこがれた少女たちが多い。

韓国では「朴セリキッズ」が生まれた。朴セリは77年生まれ。米ツアーで25勝し世界ゴルフ殿堂入りも果たしたレジェンドだ。彼女にあこがれた子供たちの中から、世界で大活躍する選手が続出したのである。

チェ・ナヨン(崔羅蓮)もその一人だった。

87年10月、ソウル生まれ。ゴルフは11歳から始めた。「2001年に中学1年生で代表常備軍に入ると、2年後に国家代表入り。2004年には、高校生アマチュアながら、韓国女子ツアーで優勝」(『web Sportiva 2012・07・08チェ・ナヨンを進化させた、たった1つのアドバイス』慎武宏より引用)

04年11月にプロになり、08年からは米ツアーに挑んだ。この年は27試合でトップ10が9回。109万ドル以上で賞金ランク11位に入った。

初Vは翌年9月。11月には2勝目を挙げた。

翌10年も2勝。さらに187万ドル余りで賞金女王に輝いた。

平均ストローク69・87、バーディ数338、アンダーパーラウンド57などでツアー1位。米ツアー3年目、23歳で立派なナンバーワンになった。

翌11年は1勝、賞金ランク3位。ツアー上位は揺るがなかった。

朴セリの米ツアー賞金ランクは2位が最高(2回)。チェ・ナヨンは賞金女王でそれを超えたが、欠けているピースもあった。メジャータイトルだ。

朴セリはメジャー5勝(『全米女子プロ』3勝、『全米女子オープン』『全英女子オープン』各1勝)。チェ・ナヨンは未勝利ながら、11年までに17回出場し、10位以内が7回。特に10年は『全米女子オープン』2位タイ、『全英女子オープン』3位タイとタイトルに肉薄していた。

12年も、最初のメジャー『ANAインスピレーション』で8位タイ(3打差)に入った。

この年のメジャー2戦目の『全米女子オープン』は、韓国勢には特別な試合だった。開催コースはピート・ダイ設計の「ブラックウルフラン」(米ウィスコンシン州)。88年にオープンし、98年に朴セリが20歳9ヵ月の大会最年少で勝った『全米女子オープン』の舞台だからだ。チェ・ナヨンも優勝を願ったが好材料は少なかった。調子が上がらないままに迎えていたからだ。『ANAインスピレーション』から約2カ月。その間のトップ10はマッチプレーの1試合(9位タイ)だけ。ストロークプレーでは12位タイが最高だった。

それでも第1ラウンドでは好スタートを切った。1アンダーで首位から2打差の8位タイに入ったのだ。

大会には朴セリも出場していた。第1ラウンドはパープレーの72、15位タイ。内容は5バーディ2ボギー1トリプルボギーだった。

「このコースは少しのミスが大たたきにつながる」と朴セリはいった。「3つのミスで5打落とした」とは、痛恨のトリプルボギーを指していた。

この言葉は最終ラウンドのチェ・ナヨンへの予言になった。

第2ラウンド。チェ・ナヨンはパープレー。通算1アンダーで4打差の9位タイ。前日とほぼ同じ位置で予選を通過した。

第3ラウンド。試合が大きく動いた。

この日は強い風が吹き、難度が増した。その中でチェ・ナヨンは8バーディ(1ボギー)の猛チャージを見せたのだ。

好調なショットでバーディチャンスを次々に作り、パットを次々に沈めた。気がつけば2位に6打の大差で単独トップに立っていたのである。

「14年前の朴セリの優勝は忘れていません。今年は私が引き継ぎたい」

大量リードでメジャー初Vに王手をかけたチェ・ナヨンは、珍しく強い言葉を口にした。

単独トップからピンチを迎えて

全米女子オープン最終日、13番ホールでティーショットを見つめるチェ・ナヨン

最終ラウンドは好天で風が弱くなった。それでもコースは難しかったが、チェ・ナヨンは堅実なプレーを続けていた。

1番パー4はボギーとしたが、4番パー4でこの日初バーディ。大量リードのためか、チェ・ナヨンは伸び伸びとプレーしていった。フロントナインの9ホールはパープレー。2位のエイミー・ヤン(韓国)とは5打差でバックナインに入った。

そうして迎えた10番は568ヤードのパー5。左サイドにはラテラル・ウォーターハザードの池がある。チェ・ナヨンは1打目のドライバーショットを気持ちよく振った……ように見えた。だが打球は左寄りに飛び出し、ハザード内に落ちていった。

「振り急いでしまった」(チェ・ナヨン)結果のミスだった。

この打球の処置でプレーが中断した。ボールがハザード内に落ち、1打罰を加えた3打目をどこからプレーするか。それが問題になった。

打球がセーフエリアからハザードに入ったなら、境界を横切った地点がドロップの基準点になる。ティグラウンドからは200ヤードかそれ以上前から3打目をプレーできる。

だが、セーフエリアを通らずにハザードに入ったなら、ホールの形状からティグラウンドに戻っての打ち直しにならざるを得なかった。

10分ほどの確認作業の後、打球はセーフエリアを通過しなかった、と判定された。チェ・ナヨンはティグラウンドに戻り、3打目となるドライバーショットを打った。打球は右に飛び、ラフに止まった。1打目を打ってから14分が経過していた。

4打目はアイアンでレイアップしたが、これも右のラフに沈んだ。これは痛いミスだった。ラフからはグリーン上に止めることが極端に難しくなる。グリーンをこぼれたら6オンになり、1パットでもダボ。2パットならボギーになるからだ。

5打目は右のラフから165ヤードほど。これもミスショットになった。ハーフシャンクしたのだ。打球は低く飛び出し、数十ヤード先に落下してどんどん転がり、グリーン手前のラフに潜り込んだ。

6打目は30ヤードほどのアプローチ。転がしていったボールは、ピン手前3メートルほどについた。7打目は入ればダボ。下りのフックラインながらショートした。トリプルボギーで3打を失い、通算スコアは5アンダーに後退。2位のエイミー・ヤンとの差は一挙に2打に縮まった。

63ホール目までダボ以上がなかったチェ・ナヨン。64ホール目にトリプルが出て『全米女子オープン』優勝の行方がわからなくなった。

感情を秘めるその強さを証明

それでもチェ・ナヨンは崩れなかった。続く11番は368ヤードのパー4。フェアウェイからの2打目を1メートル半につけてバーディを獲った。2位とは3打差になった。

続く12番は452ヤードの最長のパー4。ここはピンチになった。3番ウッドの第2打をグリーン左の小山の斜面に打ち込んだのだ。深いラフからのダウンヒルのアプローチ。ピン方向を狙うと打ち方が難しくなる。チェ・ナヨンはピンより左側を狙った。グリーン上にボールを残しやすい方向だった。カップまで7メートルほどが残ったが、状況を考えればナイスアプローチだった。

この決断が実を結んだ。1パットでパーをセーブしたのだ。勝負を左右するスーパーパーだった。

続く13番はグリーン右に池があるパー3。ここはミラクルパーを獲った。1打目が右に飛び、池の縁の岩に当たった。跳ねて池ポチャ……が当たり前なのに、なぜか打球はピン方向にまっすぐ跳ねて、グリーン奥のラフに止まった。イージーなアプローチを確実に寄せ、1パットでパーをセーブしたのだ。

14番パー4は5メートルほどのバーディパットが惜しくも入らずパー。エイミー・ヤンがここをボギーとして差は4打に広がった。

15番パー4は2メートル半のパットをきれいに沈めてバーディ。通算7アンダー。エイミー・ヤンもバーディで4打差は変わらなかった。

16番パー5。1打目から3打目までナイスショットを続けてパーオン。6〜7メートルのパットを真ん中から沈めてバーディを獲った。2位とは5打差になった。あとは2ホールを消化するだけになった。

17番パー3はパー。18番パー4は寄らず入らずのボギーとしたが、2位との差が4打になっただけだった。通算7アンダー。チェ・ナヨンは朴セリに続いて、このコースでの『全米女子オープン』チャンピオンになった。

最後のパットを沈めた直後、韓国の選手たちがシャンパンシャワーで祝福した。その中に、この年は9位タイの朴セリがいた。二人はグリーン上でハグをかわした。

「冷静に自分のゴルフをやり遂げたわね」と朴セリに褒められた。チェ・ナヨンも「最後まで冷静にできた」と思っていた。

チェ・ナヨンはスリムで愛らしいルックスの持ち主だ。そして常にポーカー・フェイス。プレー中は感情を表すことがほとんどない。この試合でも、ガッツポーズはほとんど見せなかった。

「勝てたら、何かポーズをとろうかとずっと考えていました。でも優勝が決まっても何もできませんでした。それが私らしさだと思いました」(チェ・ナヨン)

勝ったときの笑顔も、はにかむような控えめなもの。とびきりシャイなのだ。

こうした雰囲気と、切れ味鋭い抜群のショット力という、相反するような2つの要素が彼女の魅力だった。

ゴルフは自分との闘い。欲望や怯えという感情に振り回されないことが、持ち前の能力を発揮する原動力になる。その点で「思いを秘める」のはゴルフ向きの才能といえる。振り返ればこの試合でも、優勝を争った選手たちはさまざまな感情表現をしていた。それがほとんどなかったのが、チェ・ナヨンだったことは間違いない。

チェ・ナヨンの最後の優勝は15年6月の『アーカンソー選手権』。米ツアー9勝目でメジャーは1勝。こうした数字より、はるかに深い印象を多くのファンに与えたプレーヤーだった。

そして引退のときがきた。『全米女子オープン』優勝から10年が過ぎていた。

引退試合は韓国で行われた米ツアー『BMW女子選手権』(22年10月)。4ラウンド通算2アンダー。47位タイだった。

その3ラウンド目。チェ・ナヨンはホールインワンを達成した。すべてを秘めて黙々とプレーしてきた彼女には、華やかすぎる締めくくりだった。ゴルフの神様は、素敵なプレゼントを贈ってくれたようだった。

いかがでしたか? 今回はチェ・ナヨン選手の名勝負を紹介しました。ぜひ、今後の活躍にも注目して下さい。

文=角田陽一
写真=AP/アフロ

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