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身長153cm “リトルセレナ”のビッグな2勝目を紐解く!快進撃の原動力は?

ゴルフの歴史には、その転換期となる数々の「名勝負」がある。それを知らずして現代のゴルフを語ることはできない。そんな「語り継がれるべき名勝負」をアーカイブしていく。

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飛距離アップが飛躍の鍵

その、印象的な名前の女子プロゴルファーが誕生したのは、2011年だった。青木瀬令奈はこの年のプロテストの合格者20人の中にいた。1993年2月、群馬県前橋市で生を受けた。「せれな」の語源はセレナーデ。音楽家の両親がつけた。「セレナーデ=恋人の部屋の窓下などで演奏される楽曲」である。愛情豊かな人生を願ったロマンチックな名前だ。音楽家族で育った青木は3歳からピアノを始めた。やがて彼女の気持ちはスポーツに向かっていく。ゴルフだった。

父親に連れられて練習場に行ったのが7歳。最初は左打ちだったが、すぐに父が「左は練習打席が限られるから」と右打ちに変えさせたという。全国レベルで名を知られたのは県立前橋商業高校在学中の08年。全日本女子パブリックアマ、関東ジュニア女子15〜17歳の部、全国高等学校ゴルフ選手権夏季大会で優勝した。その後はプロツアーでローアマ獲得などの実績を残した。身長153センチと小柄。飛ばないが小技が抜群にうまかった。プロテスト合格は18歳。一発合格だったが、その後は試合の出場権がなかなかとれなかった。12年からの出場試合数は8、8、7と一桁止まりが続いた。ようやく出場権を得たのは15年。前年末のQTを25位で通過したのだ。15年は34試合で10位以内が5回、賞金ランク27位。フル出場1年目でシード権を獲得できた要因は2つあった。

1つ目は地力の底上げ。13年のQTランクは72位。14年に25位まで上げられたのは、地道な努力の成果だった。2つ目は飛距離アップ。飛距離は青木の泣き所だった。「飛ばないことはわかっていましたが、生命線のフェアウェイウッドを練習し、小技を磨いて補ってきた」と、青木は『UUUM GOLF【高橋としみ】【月一ゲストレッスン】』の動画で語っている。だが15年の前半はさんざんだった。18試合で予選落ち13回。「ツアー設定のコースでは、自分のゴルフはまったく通用しませんでした。でも何を直せばいいのかわからなかった」(青木。前出動画より)

当時の青木のドライバーショットは、計測器のデータで「キャリーで180ヤード」(青木)。トータルでも200ヤードを切っていた。それを解決したのが大西翔太コーチのアドバイスだった。青木とは同学年。ジュニア時代から顔見知りだった。大西の指導でダウンブロー軌道をアッパーに改めると、飛距離が30ヤードほども伸びた。「この飛距離アップは大きい。これなら戦える」(青木)。そのとおり、シーズン後半の予選落ちは16試合で2回に激減。終盤の『伊藤園レディス』では2打差の単独2位に入ってシード権を確保した。

初優勝後の伸び悩み

翌16年は36試合で10位以内が6回。賞金ランクはまた27位だった。次の17年には初優勝もできた。6月1週の『ヨネックスレディス』だった。悪天候で2ラウンド36ホールに短縮。青木の第1ラウンドは2オーバー、74。4打差13位タイだった。第2ラウンドでは完ぺきなプレーを見せた。6バーディ、ノーボギー。2位に2打差をつけて優勝できたのだ。

混戦から終盤の16、18番でバーディ。2打差の勝利をもぎ取った。「18番は高校1年の時にこのコースで勝ったことを思い出した。迷いはありません。ラインを読み切ってバーディがとれた」(青木)ただ賞金ランクは32位に後退した。賞金ランクに直結する平均ストロークのツアー順位が前年の24位から32位へ後退したことが原因だった。

優勝はできたがスコアは悪化した。そんなシーズンになった。そしてこの30位台は定位置になっていった。18年は賞金ランク31位。平均ストローク36位。19年は賞金ランク35位。平均ストローク37位。コロナ禍で試合数が半減した20年も予選落ちが多く、上位には入れなかった。2度目の優勝にも縁がなく、「引退時期まで考えた」(青木)というほど悩んだ。

2020年はプロ歴10年目。その間にツアーでは黄金世代、プラチナ世代、ミレニアム世代の20歳前後の若手が続々と登場。苦もなく勝っていくように見える時代になっていた。苦闘を続けてきた青木が、引退を考えたのも無理はなかった。21年。コロナ禍で20ー21年が一つのシーズンになり、その2年目を迎えても予選落ちが多かった。光が見えたのは21年の自身11戦目、『中京テレビ・ブリヂストンレディス』だった。

最終日に、シーズン自己最少の65をマーク。通算7アンダーで4位タイに上がった。「少しずつ復調してきた感じがある。まずはシードを獲りたい。あとは17年以来の2勝目に向けてがんばりたい」(青木)最後に「2勝目」という目標をくくりつけたのは唐突にも思えた。だがその効果なのか、3試合後に大きなチャンスがやってきた。6月10日から始まった『宮里藍 サントリーレディスオープン』。第1ラウンドは1アンダー、39位タイだったが、第2ラウンドは5アンダー。4打差の9位タイまで順位を上げた。第3ラウンドも6アンダー、通算12アンダーで2位タイまで浮上した。最終日最終組でプレーすることになったのである。

「ショットはアドレスを変えたことでピンを攻められるようになった。パットはグリップをいろいろ変えたりした結果、ロングパットが入ってくれた」(青木)これが快進撃の原動力になったのだという。「『無の境地になろう』と意識するのは無ではなくなる。最終日は久しぶりの優勝争いの空気を楽しみたい」といった。だが道のりは険しかった。青木と同じ2位タイには西郷真央、西村優菜の若手と25歳の木村彩子。1打差6位タイには山下美夢有、さらに1打差には古江彩佳もいた。西郷は19歳、山下は18歳である。最大の強敵は単独トップの稲見萌寧、20歳だ。20ー21シーズンは、ここまで6勝。この試合も第3ラウンドまでボギーなしで、通算16アンダーまで伸ばしていた。2位タイに4打差。稲見の逃げ切り気配は濃厚だった。

強敵ばかりの混線を制す

およそゴルフくらい展開を読むのが難しいスポーツはない。テッパンの大本命が負ける。そういうことはしょっちゅう起きる。この時もそうだった。稲見はこの日もボギーなしを続けていたが、バーディもこなかった。8つのパーを続けた後の9番パー4で大会初のボギーを打った。その間に後続が追い上げてきた。アウトで山下は4アンダー。青木も3アンダーで9番終了時には3人が首位に並んだ。西郷も2アンダーで1打差。大混戦になった。

抜け出したのは青木だった。10番パー4のバーディで通算16アンダー。このスコアに追いついてきたのは2組前の山下だった。17番のバーディで16アンダーとしたのだ。だがその直後に、青木は16番パー3で2メートルを沈めてこの日5つ目のバーディ。通算17アンダーとすると、だれも追いつけなかった。28歳のお姉さん選手が、20歳前後の若手たちをなぎ倒し、最強の稲見も倒して通算2勝目を挙げたのだ。4ラウンドの長丁場を戦い抜いた強い勝ち方だった。

「ホッとした。(優勝は)4年ぶりです。特に今年は不振で、やっと勝てました。初Vは2ラウンドだったから、この優勝で胸を張って勝った、といえる」(青木)ツアーでは2勝してホンモノ、という。その意味でも価値ある優勝になった。「青木って強いんだね」「飛ばないけどカッコいい」そんなイメージが広がった。「セレナのゴルフ」が大きく開花した、記念すべき勝利だった。

この年は稲見をはじめとする若手の力が圧倒的だった。比べると技巧派の青木はベテランに見えてしまう。小柄で飛ばず、1勝するのに何年もかかってきたからだ。だが青木もまだ20代。さらなる進化は続いている。飛距離という武器はないが、技のレベルは非常に高い。1打を削るためにあらゆる努力と工夫をするスタイルは、ゴルフの本質を示唆してくれるものでもある。

例えばクラブセッティング。2勝目のときはウッド5本(1、3、5、7、9番)UT2本(5、6番)アイアンはわずか3本(7、8、9番)、あとはPW、52度、58度とパターだった。こうしたクラブたちも、自らの構えに合わせてシャフトの長さを独自に変えたりしている。特筆すべきは、青木はそういう理屈を理解して、自分で考えながら試行錯誤していることだ。結果がよくなるようにプレーする方法を構築してきたのである。

今年7月、青木は『資生堂レディス』でツアー3勝目を挙げた。このときも4ラウンドで60台を並べて(68・69・68・69)2打差で勝った。2勝目から要した時間はほぼ1年に短縮された。舞台は戸塚CC(神奈川県)。かつて「すべての番手が使いこなせないと攻略できない」といわれたコースは、青木向きでもあったのだろう。

この試合、第3ラウンドで1打差の首位に立った青木は「逃げ切り優勝」を宣言。そのとおりに実行して見せた。「気持ちのコントロールがうまくできた。覚悟を決められた。以前は、どこかに言い訳を用意していたから」と試合後に語ったように、自信も深まっている。目的地にたどり着くまでの道のりと時間はそれぞれである。どれほど時間をかけても、進み続ければたどり着ける場所はある。そのためには、自分の持っているものをしっかり生かす覚悟と信念が必要だ。

例えば小柄な選手が強いのはなぜか、と聞かれた青木は「目がボールに近いのは有利なポイントではないか」と答えたそうだ。会見場には笑いが起きたというが、これはとても重要な示唆である。ゴルフのプレーには、目から脳へと伝わる情報が非常に重要。目の位置や利き目の差異は、いろいろな得手・不得手の要因にもなるからである。小さいことはパワー的には不利だが、正確なインパクトや地面の状況の視認には有利。そんな目の位置なのだ。スコアメイクの要素としてはポジティブなのである。

足りないものばかリを考えてため息をつく。そういう生き方はしない。そういうことの大切さを教えてくれる。青木はそんなゴルファーに見える。

文=角田陽一
Photo=Getty Images

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