竹村真琴が今だから語れる苦悩を激白!「そっとして欲しかった」

ジュニア時代からプロトーナメントに数多く出場し、その確かな実力と美しいビジュアルで将来を嘱望されてきた竹村真琴プロ。しかし、プロ転向後は成績が振るわず、2022年の股関節の手術をきっかけに一線を退くことになった。

華々しく見えていた当時の苦悩から現在までの心境の変化などを竹村プロに赤裸々に語っていただいきました!

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「父の気を引くため」から「スポンサーさんの期待に応える」へ

―プロ転向は何年?

竹村:2009年にプロテストを合格して、それからですね。

―デビュー戦の結果は?

竹村:予選落ちでした。

―上手くいかなかった?

竹村:いえ。まだまだ自分が下手なことは分かっていましたし、焦りとかはなかったです。ただ、新聞には大きな記事で「竹村、デビュー戦で予選落ち!」みたいに載ってしまって、「ああ、予選落ちしたらダメなんだ」と思ったのを覚えています。

―アマチュアの時とは違った?

竹村:自分では同じつもりでした。でも、”父に認められるために”から”スポンサーさんの期待に応えなければいけない”へと考えが変わっていったのを覚えています。

―正直、契約金とかは知っていたのですか?

竹村:通帳見たときになんとなく。ただ、メディアではその倍くらいの金額を書いていましたね。

―プレッシャーになりましたか?

竹村:当時は子供でしたから、金額自体にはピンときていないところもありましたが、期待に応えなければいけないとは思っていました。その時点では、プレッシャーではなかった気がします。

試合が怖くなっていった

―「その時点では…」ということは、あとからプレッシャーに感じ始めた?

竹村:新聞記事を目にしてからですね。悪いスコアを叩くと、毎回記事になっていましたから。ずっとプロの試合に出ていたとはいえ、アマチュアとプロは違いますし。技術的にも、色々とプラスアルファをする必要があることは分かっていました。でも、その時間が与えられないんだなと思ってしまったんですよね。

―時間が必要、でも期待にも応えなければいけないと?

竹村:そうですね。その狭間で苦しみました。まだ、上手くないから期待されるような結果はすぐに出ないことはわかっているけど、試合には出なければいけない。でも、出れば記事に載ってしまう。

―試合に出たくなかった?

竹村:正直、期待に応えられる力がつくまでは出たくないと思い始めていました。練習している姿ですら見られたくなくなっていきましたし。でも、スポンサーさんがついているのでその選択肢は持てなかったです。

―相談相手はいましたか?

竹村:鬱っぽくて誰とも話をしたくなかったので、姉にはよく悩みを聞いてもらいました。あとは、たにひろえプロ。プロとしての振る舞いとか先輩との接し方とか何でも。今思うと、何であんな大先輩が?と不思議なのですが。生意気だから指導してこい!とか言われていたのかな?(笑)でも、谷さんがいるから試合会場に行けている面もあったので、本当に感謝しています。

―ファンの方からの声などは?

竹村:もちろん応援してくださる人はたくさんいて、その人たちの期待に応えなきゃ!と力になりました。その反面、ネットとかで、「竹村ブスじゃん」とか「本物は可愛くなかった」とかもよく見かけて。自分で言うのも変ですが、ビジュアル面も注目して頂いていたことはわかっていたので、「太っちゃいけないのかな?」とかも気にしてしまって。ご飯を食べる量とかも年々減って飛距離も落ちていきました。

―今思うと、何が問題だった?

竹村:思春期だったんだと思います。早くからトーナメントには出させてもらって技術面は上達していましたが、精神的に未熟だった。”父のため”とか”スポンサーさんのため”とか。「自分のため」が確立できていなかったと思うんです。だから、新聞記事やネットの声に振り回されてしまいました。今なら「ほっとけばいいやん!」って思えるのですが。

―後悔している?

竹村:うーん。受け入れてはいますが、当時もっと頑張れたんじゃないか?と思うことはあります。

―当時、ご両親は何と?

竹村:心配していたと思います。でも、スポンサーさんからたくさんのお金を頂いていましたし、みんなで私を気遣って、なんとか試合に出れるようサポートしてくれていました。

―若い選手と高額の契約金で契約することに難しさがあるのでしょうか?

竹村:そんなことは無いと思います。助かる面の方がはるかに大きいですし。今の選手たちは、当時の私と違って精神的にも準備が早いですから。こう見えて、私はプレッシャーに弱いんです。信じてもらえないと思いますが(笑)。だから、プロ入り後1年くらい、そっとしておいてほしかったですね。

―ゴルフが嫌いになっていった?

竹村:そのときも、ゴルフを好きになっていませんでしたから大丈夫でした。(笑)

やっと、ゴルフが好きだと言える自分に

―(笑)まだ、好きになっていなかったんですね?

竹村:はい。最近は好きですけど。

―いつ頃から、好きになれました?

竹村:食事も食べれなくなっても試合に出続けていたせいか、体への負担が強くなり股関節にゴルフボールくらいの石ができてしまいました。2022年にいよいよ我慢できなくなり手術を受けることに。精神的にも限界を超えていたので事実上のトーナメントプロを引退しました。その後からですね。

―きっかけがあったのですか?

竹村:ご存じの通り、頭がよろしくないのでOLさんとか絶対出来ないし、まずはプレーヤーとして恩返しが出来ていなかったスポンサーさん関係のプロアマやレッスンのお仕事をやらせて頂きました。そこで色々な人と出会えたり、知らない世界の話をたくさん聞くことができ、少し遅めの社会勉強させてもらえていることが新鮮で。それに、自分のアドバイスでゴルフが上達する人を見るのもうれしくて。

―少し遅れた社会勉強?

竹村:そうですね。プロ入り当時のクソガキからは、だいぶ成長したと思います。

―何か目標はできました?

竹村:今のお仕事が充実しているので、私なりのゴルフの楽しさを伝えてゴルフ界に貢献していきたいと思います。ゴルフ人口が増えれば私のビジネスチャンスも広がりますし!(笑)美容関係も好きなので、何か機会があれば挑戦してみたいですね!

―メディアに一言あれば?

竹村:プレッシャーに弱そうな子は、1~2年そっとしてあげてください!(笑)

ゴルフ界のため”私に出来ること”を模索し続ける

―最後になりましたが、写真集が発売されるんですよね?

竹村:はい、WEB版で発売になります!

―目立つのがきらいなのでは?

竹村:プレッシャーに弱いのですが、目立つのは嫌いではない…。面倒くさいんです!

―どんな思いで撮影されたのですか?

竹村:ゴルフ界に注目が向く新しいツールになればと。私なりのチャレンジですね。ぜひ、ご覧ください!

―最後に何かあれば

竹村:父に感謝しています。ゴルフがなければ私の人生どうなっていたことか。

―ありがとうございました!

竹村:ありがとうございました!

いかがでしたか? 今後も竹村プロを応援していきましょう!

竹村真琴
●たけむら・まこと/1990年生まれ。大阪府出身。高校生のときmeijiカップ12位に入り注目を浴びる。2009年プロテスト合格。現在は、レッスンやメディアを通じてゴルフの楽しさを伝えている。

構成=岡田豪太
写真=佐々木隆宣

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