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5歳で始めて“プロ1発合格”!山下美夢有がつかんだ初メジャーの「名勝負」 

ゴルフの歴史には、その転換期となる数々の「名勝負」がある。それを知らずして現代のゴルフを語ることはできない。そんな「語り継がれるべき名勝負」をアーカイブしていく。今回は、山下美夢有さんです!

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5歳で始めてプロ1発合格

歴史は「時代」の積み重ねである。ゴルフでは1980年代から10年ほどの間に「AON(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)時代」があった。個性豊かな3人のスーパースターが国内外で大活躍。ゴルフのニュースが飛躍的に増え、ファン層が拡大した。社会に大きな影響を与えるという歴史を作った。女子ツアーで大きな「時代」が芽吹いたのは21世紀に入ってからだ。03年、宮里藍のアマ優勝から「藍とさくら(横峯さくら)の時代」が始まった。

その後、次々に若手が活躍。ツアーの様相が大きく変わったのだ。それから15年ほどが過ぎて「世代の時代」が始まった。黄金世代、プラチナ世代、ミレニアム世代……。それぞれの世代が20歳前後のプロ入り直後に続々と優勝を飾った。「アマ優勝できる逸材ぞろい」と評されていた実力を証明したのだが、その強さと見事なプレー内容はハイレベルだった。世界でも強かった。渋野日向子の『全英女子オープン』(19年)、笹生優花の『全米女子オープン』( 21年)のメジャー優勝。21年東京五輪では稲見萌寧が鮮やかなプレーで銀メダルを首にかけた。

こうした活躍が多くのファンを魅了。今や「プロのゴルフ」といえば最初に女子が想起されるようになった。昨22年も、日本のゴルフをリードしたのは女子ツアーだった。その頂点に立ったのが山下美夢有である。21歳でプロ3年目。前年に1勝は挙げていたが、身長150センチの小柄な彼女が、初代の「年間女王」(メルセデスポイント1位)になったのは意外だった。出場33試合でトップテン21回、優勝5回。獲得賞金は2億3千5百万円を超えた。

最初の大きなステップが、国内メジャー初戦の『ワールドレディス』だった。山下は01年8月、大阪に生まれたゴルフは5歳から始めた。同時に始めた父親が上達法、トレーニング法などを研究し、娘に伝授してきた。アマ時代の目立った成績はないが、プロテストは高校3年の19年に1発合格した。高校3年生世代の受験はこの年から認められた(前年までは高校卒業後)。山下は1次選考を地区2位、2次も地区1位で軽々と突破。11月の最終テストも4ラウンドで4アンダー、6位タイの上位で合格した。同期合格者には1つ年上の西村優菜、安田祐香、同学年の西郷真央がいた。アマでは大活躍をしてきたエリートたちだ。破天荒な飛距離の笹生も注目されていた。山下は目立たない存在だったといっていい。その12月の最終QTも、山下は13位で通過。翌年前半のツアー出場権を確保した。

だが20年はコロナ禍で夏場までほとんどの試合が中止。20―21年という変則的なシーズンになった。その中で山下は奮闘した。開幕から3試合は予選落ち。初の予選通過は4戦目の『ゴルフ5レディス』で19位タイだった。自身8戦目の『スタンレーレディス』(2ラウンドに短縮)は1アンダーを2ラウンド続けて5位タイ。初めてトップテンに入った。

21年はさらに成績が上がった。開幕から6戦連続で予選通過。4戦目の『ヤマハレディースオープン葛城』では第1〜第3ラウンドまで首位に立った。最終日も2アンダーで回ったが、66の稲見に1打差で逆転され、2位に終わった。それでも暗さは見せなかった。「2位は自己最高。ここで終わりではないし、またトップを目指して、次週から」と、笑顔で前向きだった。この姿勢が初Vにつながった。

2試合後の『KKT杯バンテリンレディス』最終日。4位タイからスタートした山下は7バーディ、1ボギー。『ヤマハ』最終日の稲見と同じ66を今度は自分でマークして、逆転優勝をもぎ取ったのである。通算14アンダーは大会レコード。2位には5打差をつけていた。「優勝できるとは思っていなかった。とにかく集中していた」勝因は徹底した手前からの攻め。ピンの手前に乗せるという基本を守って、グリーンが難しいコースを攻略したのだ。この初優勝で山下は一躍、勝負強い若手として認識された。

地道な努力で記録も達成

目立たなかった山下が、プロ入り後に急速に成績を伸ばせた理由には、地道なトレーニングと独特なショット力の研鑽があげられる。まずはトレーニング。プロテスト合格後は水を入れたポリタンクで筋力アップを図った。アンクルウエイトを装着してのランニングも取り入れた。その結果、筋肉量が1年で4キロも増えた。また300万円もするトラックマン(弾道計測器)を自腹で購入。

さまざまなデータを計測し、ショートゲームの精度アップに役立てた。その結果、距離感が段違いに上がった。飛ばないからパー5の2オンは望めない。そのかわり、第3打はビタリとピンに絡める。そういう戦い方ができるようになったのだ。好調はその後も続いた。それから10戦して10位以内が6回。そのうちタイを含む2位2回、3位と4位が1回ずつと、半分くらいは優勝に手が届きそうだった。また7月の『GMOサマンサタバサ』から『大東建託』にかけては、86ホール連続ノーボギー(ツアー新記録)を達成。正確なプレーに磨きをかけていった。それでも2勝目は挙げられなかった。

こうなると「勝ちを逃している」「じつは勝負弱い?」などとも見られるようになる。プロの厳しさだ。やっかいなのは、そういう後は調子が落ちていく傾向があることだ。山下もそうなった。この年の後半19試合で10位以内は4回あったが、最高は6位。5位以内がなくなった。上位に進出できなくなったのである。結局、20― 21シーズンは1勝で賞金ランク13位。デビューシーズンとしては大健闘といえるのだが、尻すぼみ感は否めなかった。

2シーズン目の22年。開幕戦『ダイキンオーキッド』は最終日に5バーディ、ノーボギーの67。18位タイから4位タイまで上がり、幸先はよかった。3戦目の『アクサレディス』は1打差2位。惜敗といえる内容だったが、山下は笑顔でこの結果を受け止めた。ツアー2勝目を問われても「焦りはないです。優勝できるチャンスが来たらいいですね」とゆったり構えて見せた。だがそのチャンスは遠のいていった。この後は21位タイ、26位タイ。

そして次からの3戦は予選落ちを続けたのだ。本来は予選落ちが少ないタイプである。3連続の不通過はデビュー直後だけ。その後は2戦連続さえなかった。「ノー・ボギー」記録の持ち主らしからぬ成績である。だが山下はその直後に立ち直った。国内メジャー初戦『ワールドレディス』(5月5日〜8日。茨城GC)をいきなり首位で発進したのだ。しかも8バーディ、ノーボギー。「ミス・ノーボギー」の復活である。この64は大会コースレコード。2位には3打差をつけていた。

練習と同じスイングをする

第2ラウンドはピン位置が難しくなり、一挙に難度が上がった。山下は2オーバー、74を叩いた。「昨日がよすぎました。今日は72を目指したけど、流れがこないうちに18ホールが終わりました」それでも通算6アンダー。

1打差で、単独トップは守った。第3ラウンドでは再び大きく伸ばした。2番から3連続バーディ。9番はボギーとしたが、バックナインは3バーディ、ノーボギー。トータル67、5アンダーだ。2位とは6打の大差がついたが、自己採点は「90点」だった。ボギー1つ分が減点になったようだ。「歴史に名を残せる大試合での優勝は大きな目標」(山下)といってきた山下だが、このときは「明日は勝ちたい」とはいわなかった。

「去年は最終日、首位からの逆転負けが多かった。今回は(勝ち負けはともかく)落ち着いてプレーができればいい」あくまでも冷静だった。最終ラウンド。重苦しいスタートになった。7番まですべてパー。8番パー3で初バーディを獲るが、9番はボギー。なかなか前に進めない。バックナインでも11番でボギーにしたが、直後の12番でバーディと取り返した。その後6ホールは1バーディでトータル1アンダーの71、通算12アンダーで終えた。前日までの大量リードが効いた。2位との差は3打に縮まったが、通算2勝目をメジャーで飾ったのである。

このときは自己採点が甘くなった。「(2ボギーながら)きょうは100点です。ものすごい緊張の中でもアンダーパーをマークできたから。これが最終日、最終組なんですね」優勝で安堵したようだった。3連続予選落ちの直後のメジャー優勝。しかも初日から単独首位を守り続け、だれにもリーダーに並ぶことさえ許さなかった完璧優勝である。変身の理由は何か。「スイングとか、何かをかえたわけではありません。ただリズムに注意しました。練習場と同じリズムで振る。コックして間を置いたらショットの精度が上がったんです」(山下)3連続予選落ちという結果は、山下を大いにへこませたようだ。「メンタルまで結構、やられました」(山下)といったが、それで開き直れた。コーチである父と話し合って「練習と同じスイングを、すべてのストロークで実行する」ことだけを目標にしたという。この試合では結果を切り捨てることができたのだ。それだけで成績が激変するのか、と思いたくなる。だが変わったのだ。ゴルフとはそういうものだと山下は実証したのである。

結果を求めて振ると早くなる。体の突っ込みやズレが生まれてヘッドは逆に振り遅れる。それをカバーしようとしても、体がブレてはミスは止められない。修正に必要なのは早く動く原因を取り除くこと。結果を求めないことである。だから試合でも練習のスイングをイメージした。リズムに集中することが武器になったのは、心の中でリズムを刻むと、結果にこだわる気持ちを眠らせることができるからだ。山下が「勝ちたい」といわなかったのは、そのためでもあった。こうして「ミス・ノーボギー」はメジャーチャンプになった。そしてこれはさらなるドラマの始まりに過ぎなかった。シーズンが終わるまでに、山下は絶対女王へと成長していったのである。

いかがでしたか? これからも山下美夢有プロの活躍をチェックしてください!
文=角田陽一 写真=ゲーリー小林

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