今季2勝・西村優菜の“名勝負”とは?「小さな勇者」の国内メジャー優勝

ゴルフの歴史には、その転換期となる数々の「名勝負」がある。それを知らずして現代のゴルフを語ることはできない。そんな「語り継がれるべき名勝負」をアーカイブしていく。

今回は、2022年シーズンで「ニチレイレディス」「ニッポンハムレディスクラシック」ですでに2勝をあげている西村優菜の「名勝負」を紹介。

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優勝に必要なのは攻めのゴルフ

攻撃が先か、守りが優先か。その選択は戦略の基礎である。

サッカーのように最少得点でも勝てる競技では、守り優先の戦略が成り立つ。相手を零封すれば、最悪でも引き分けにできるからだ。バスケットボールやバレーボールのように、多くの点を奪い合う競技なら、点数を効率的に重ねる攻め方が優先事項になってくる。

ゴルフはどうか。パーを獲るのが難しいアマチュアなら、ボギーを防いで失点を抑える守り優先の戦略が成り立つ。だが今のプロツアーのように、大きなアンダーパーで優勝を争うレベルなら、多くのバーディを獲りに行く攻め優先が必要になる。日本の女子ツアーも同じである。

JLPGAツアー 優勝データ比較(2004年 vs 2019年)

表(上写真)は筆者がまとめた国内女子ツアーの優勝スコアを比較したデータだ。

2004年は「藍とさくら」の新時代が幕を開けた年。19年はシーズンが終わっている最も新しい年。15年違いのこの2年を比較した。

04年の平均優勝スコアは8・45アンダー。1試合あたりの平均ラウンド数3・06で単純に割ると、優勝者の1ラウンドの平均スコアは2・76アンダーになる。パー72なら69・24だ。

対する19年の平均優勝スコアは12・21アンダー。2桁になった。1ラウンドごとの平均スコアは3・78アンダー。04年より1打も少ない。3ラウンドのトーナメントなら3打減っているのである。

また優勝スコアが2桁アンダーになった試合は04年が38・71パーセント。おおよそ3試合に1度だ。それが19年は4試合に3試合(74・36パーセント)まで増えている。「1桁アンダーでは優勝は望み薄」になってきたのだ。

また優勝スコアで(パーに対して)もっとも多い打数は04年が2オーバー。19年は5アンダー。オーバーパーで優勝が決まる試合は消えた。

21年はこの傾向が加速している(9月19日現在の参考記録。以下同じ)。ほぼすべての数値が19年よりよくなっている。優勝者の1ラウンドあたりの平均スコアは3・87。毎日4アンダー、パー72なら68を並べることがノルマになってきたのである。

こうした数値は「攻めるゴルフの時代」の証しだ。パーセーブ前提の「守りのゴルフ」では優勝できない。「どうやって多くのバーディを獲るか」が求められているのだ。

その時代の申し子が賞金ランク1位の稲見萌寧(20-21年シーズン8勝)であり、2位の小祝さくら(同5勝)である。稲見は平均ストローク70・018(部門別1位)。小祝は70・497(同2位)。そして3位に上がってきたのが西村優菜(同3勝)だ。

西村は身長150センチでスリム。目立って小柄だがプレーは攻撃的だ。

ドライバーショットは平均230ヤードと飛ばない。だが9番アイアン以下の得意クラブのショットは高い確率で1ピン以内に絡む。そしてパットもうまい。絡めて入れる。それがバーディ奪取のひな型。その威力が発揮されたときには、勝負どころでバーディを連発して優勝をさらっていく。その強さは驚異的としか表現できない。「小さな大選手」誕生の予感さえ感じさせる。

その予感を最初にもたらせたのが21年『ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ』だった。

3度目の正直
最終日最終組

『ワールドレディス』(茨城GC)は、毎年ツアー公式戦(国内メジャー戦)の初戦として定着している。21年もそうだった。

第1ラウンド。西村は3アンダーの69。首位から3打差の5位タイだ。

「ドライバーが自信をもって振れていません。でもアプローチがよかったし、パッティングも思ったところに打てていたので、スコアはまとまりました」(西村)

第2ラウンドも3アンダー。通算6アンダーは3打差6位タイだった。

「ショットが修正できました。2日間60台はよかった。毎日60台が目の前の目標。クリアできるように1打1打集中したい」と上り調子を強調した。

第3ラウンドも69で3打差のままだったが、順位は2位タイまで上がった。最終ラウンドは最終組となった。

「後半はショットがちょっと乱れて怪しかったけど、アプローチとパッティングでノーボギーにできました。差は3打あるけど明日も60台ならチャンスがあると思います」(西村)

意外にも思える自信の披露だった。西村はこれまでメジャーで2度、最終日最終組を経験し、2度とも敗れていたからだ。

1度目はプロ初のメジャー戦、20年『日本女子プロ選手権』である。通算11アンダーの単独首位でスタートした最終日は4オーバーの76。7位タイと崩れた。

2度目は同じ年の最終戦『JLPGAツアーチャンピオンシップ』だ。首位と1打差の単独2位(通算9アンダー)で迎えた最終ラウンドは3オーバーの75。3位タイに終わった。ちなみに西村は前年11月の『樋口久子 三菱電機レディス』でプロ初優勝を手にしていたのだが、メジャー競技には手が届いていなかった。

2度あることは3度ある。そんなネガティブな意識を持ちやすい状況だったのだが、西村は雪辱を果たしたのである。

最終日。3打差の首位・高橋彩華は西村より2歳年上で、パーオン率2位のショットメーカー。ショット力が問われるタフなコースをしっかり攻めて、2日目は1ボギー。3日目はボギーなしで回っていた。ツアー未勝利ながら強敵だった。最終組のもう一人は大里桃子。西村と同じ3打差、2位タイである。

西村はスタートホールで幸先よくバーディを奪った。これを含めて前半は3バーディ、1ボギー、通算11アンダーとした。前半パープレーの高橋、前半3アンダーの大里の二人の首位タイと1打差に迫ってバックナインに入っていった。

10、11番は3人ともパー。高橋がダボを叩いた12番で、西村はフェアウェイウッドの第2打をピン手前1・5メートルにつけてバーディを奪った。ここをパーの大里と首位に並ぶと、一挙に抜け出した。

次の13番も3メートルを沈めて連続バーディ。その後、高橋と大里がスコアを後退させたのに対して西村は16番までパーを続けた。とどめとなったのは17番パー3。5メートルの軽いスライスラインを1発で沈めて通算14アンダー。2位との差を3打まで広げた。18番パー5は優勝への花道になり、堂々のメジャー優勝を手にしたのである。

結局この日は6バーディ、1ボギーの5アンダー。

「この試合の目標はすべて60台で回ること」の最後を67で締めて目標を成し遂げたのである。そして「首位とは3打差があるけど(最終日に)60台ならわからない(優勝の可能性はある)」の言葉も現実にした。仮に最終日が69でも、1打差で勝てていた。百戦錬磨の大ベテランのようなゲーム読みだった。その精度の高さは『西村は冒頭の優勝スコアのデータを熟知していたのではないか?』と考えたくなるほどだ。

勝つためには1日4アンダーが必要。だがメジャーでコースが難しいから3アンダーでも勝機はある。連日69は簡単ではないが、だからこそ成し遂げれば勝てる可能性が高い。

そう読んでいたかのように思えた。

ちなみに西村はこのとき20歳。デビュー2年目、24試合目のメジャー優勝だった。

西村は「2度あった悪いこと」を食い止めて「3度目の正直」にして見せた。それも相手の自滅ではなく、自分でバーディを量産しての見事な勝ち方だった。こういう戦いができたときは「自分を変えられた」ときだ。西村はその指針を2回の敗戦から学び取っていた。

自己分析と自己変革

「『日本女子プロ選手権』は、戦い方がよくなかった。頭の中が真っ白でした」

「『ツアーチャンピオンシップ』は気持ちが入りすぎました。アウトでスコアを落とすのは私らしくなかった」

どう戦うか。それがわからなくなるほど、メジャーのプレッシャーに押しつぶされたのが1度目。それを反省したら気持ちが入りすぎたのが2度目。

3度目の『ワールドレディス』は自分の戦い方を見失わず、貫こうとして勝った。

まずはコースとの戦い。コースの特性を徹底的に考え、プレーする時間帯でどう変わるかも計算した。そして「毎日60台」という高い目標を立て、それに没頭しようと努めた。その結果「頭の中が真っ白になる」こともなく「(最終日の)アウトでスコアを落とす」こともないプレーができたのである。

「(最終日の)後半へ入るときに(首位とは)1打差。少しだけ優勝を意識しました。それでエンジンがかかったと思います。でも、コースが難しいのでどう攻略するかを考え、最後までマネジメントに終始できた」

これが平常心を保てた要因。理路整然とした分析は賢さを思わせる。考え続け、出した答えを実行してきたのだ。

同じ失敗を繰り返さない。

意外かもしれないが、そのためには勇気が必要になる。最初の失敗も、自分では一生懸命に戦った結果。それを変えるには自分のやり方をガラリと変えなければならない。自分のそれまでを全否定するような自己変革をしなければ、戦い方は変えられないのだ。

例えばグリップの握り方。指の絡め方を少し変えても強烈な違和感が生まれる。それを嫌うと「クラブの握り方」が変えられなくなり、スイングも変えられなくなる。「すべてがゼロになるかもしれない」という怖さに立ち向かえる勇気を持つものだけが、ゴルフを変えられるのである。

自分の戦い方を変えてメジャーを制した西村は、勇気ある選手といっていい。

じつは西村は初優勝もこうした自己変革で勝ちとっている。

デビュー年の20年『樋口久子 三菱電機レディス』。西村は6打差の3位タイから、最終日の大逆転を演じた。

「(5試合前に最終組で敗れた)『日本女子プロ選手権』はスコアを意識しすぎた守りのプレーだったかもしれません。あの後、次の最終日最終組は攻める、と誓いました」

プロ入り10試合目でこうした思考法ができることが、西村の強さの原点になっている。

それでも『ワールドレディス』のあとには勝てない時期が続いた。やっと次の優勝をつかんだのは17試合後だった。このときの西村らしい物語は、別の機会で触れよう。

文=角田陽一
写真=田中宏幸

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